※指摘があれば随時修正、更新のつもりです
2018 説明会に参加。残念ながら内定獲得には至らず。しかし回った機関に顔は覚えてもら
えた模様。その後参考までにと、ある大学院(都外)のブースに立ち寄ったところ、そ
こにいた教授と当初の予定とは裏腹に話し込むことに。この時彼に興味をもたれたの
か、「(院卒後の)所属のことはともかく院はウチにこないか(意訳)」と言われる。
結果としてはこの出来事が契機で同大学院への進学を決める。
余談だが、上記のように話し合いが長引いたせいか、説明会後のクラブでの報告の集
まりに一人大幅に遅れたとかそうでないとか()
2022.3 武蔵坂学園大学部を卒業、同時に院への進学のため、東京を離れる。
以降、研究職としての道を固めるのに専念したため、武蔵坂でできた友人らとの直
接の交流は大きく減る。
(離京の際その時点で武蔵坂に居た友人らには挨拶回りをし、その際に交流の希薄
化については説明している。またメール等での交流はある程度続く)
2022.4 上記の大学院へ入学。以降、歴史関係の広い人脈を持った教授の下、さらなる勉学
と交流を重ねる。(一方で生活費工面のためアルバイトも複数掛け持ち)
1年と少しを経た位に、所属を特定せずに複数の機関と関係を持ちつつ、在野で研
究する方針を固める。
(恩師も決めた道ならと受け入れてくれたが、困難な道だと釘は刺される)
2024.3 大学院修士課程を修了。直後に実家に戻り、本格的に在野での研究活動を開始。
師事した教授の研究室ほか幾つかの研究機関を回りながら、活動を進める。
※しばらくは生活費工面のため親の伝手で地元の工場にバイト採用をもらい働く。
職場では此方の事情を肯定的に受け止めてもらい、研究面とは別の面で大変お
世話になった模様で、2028年現在も頻度こそ大きく減ったが手伝いと称して行
くなど、交流は続いている。
~2028 説明会リプレイに記されているようなスタンスをこの時期にはある程度確立。
そのスタンス上、学界内では広く顔を知られおり、まだまだ若手ながら活動範囲の
広さなどを(灼滅者であることを差し引いた上でも)評価されているようだ。
2027年5月にジャーナリストとして活躍しているとある旧友の取材に応じたのを機
に、さすがに幅広くとまではいかないが一般にも存在が知られ出すようになる。
この出来事が少なからず影響しているようで、これ以降から研究機関に特別講師と
して招かれだすようになった。
10年後時点で実家からは離れ、アパートでの独り暮らしに変わっている。
表情は基本は相変わらずのようだが、ふとしたときに表情が綻ぶ頻度は嘗てより
随分と増えた…らしい。
Next 当面の目標は自身の研究成果を紙の出版物として世に出すこと。
(論文自体は幾つかネットを中心に公開済み)
※顔が広いこともあって、複数の研究チーム合同の大きな研究プロジェクトが立ち
上がった場合、調整役的な立場を担いあちこち動き回る…かもしれない。
※ダークネスとの共存にも考えがあり、研究活動に興味をもつ個体がもし居たら、
十分な教育の上で研究活動に参加してもらうのはどうだろうかと思っている。
(研究活動を通じた種の枠をこえた交流という意図をもっており、2028年時点
ではまだ個人での構想中の段階)
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